東京高等裁判所 昭和40年(う)2851号 判決 1966年4月22日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
(控訴趣意に対する判断)
控訴趣意第一の一について。
論旨は、被告人と松下作平との間の取引および被告人と原茂雄との間の取引は手形割引ではなく手形貸付であり、したがつて返済の意思の有無を問わず直ちに詐欺罪が成立するものではないのに、原判決がその罪となるべき事実の一から一〇まで、一五および一八においてこれを手形割引だと認定して詐欺罪の成立を認めたのは、審理不尽でありかつ事実を誤認したもの、というのである。
そこで検討してみると、松下作平および原茂雄と被告人との間の原判示各取引が原判決の認定するような手形割引ではなく、第三者の振り出した手形を担保として金員を貸し付けるいわゆる手形貸付だと認定する余地は多分にあるように思われる。しかしながら、所論の原判示各所為が詐欺罪を構成するかどうかは、要するに松下作平および原茂雄が被告人の提出した偽造の約束手形を真正に作成されたものと信じその結果原判示のように金員を交付したかどうかによるのであつて、詐欺罪の成否の問題としてはその取引の形態が手形割引であるか手形貸付であるかは重要なことではない。論旨は、もし手形貸付であれば返済の意思がない場合に限つて詐欺罪が成立するように主張するが、たとえ被告人に返済の意思があつたとしても、相手方がその手形の偽造であることを知つていれば貸付をしなかつたと認められる場合には、それだけで詐欺罪は成立するのである。そして、原判決の挙示する証拠によれば、松下作平および原茂雄において原判示各手形が偽造のものであることを知れば原判示のような金員交付をしなかつたであろうことは十分これを認めることができ、記録を精査してみてもこの点に疑いは見いだせないから、所論の手形割引か手形割引か手形貸付かという点は、そこに誤認があつたとしても判決に影響を及ぼすことの明らかなものではない。また、所論の点に関し原審の手続に判決に影響を及ぼすことの明らかな審理不尽があるともいえない。したがつて論旨は採用することができない。
同第一の二について。
論旨は、松下作平および原茂雄は被告人に対し原判示各金員を全部現金で交付したわけではなく、むしろその大部分は従前の借入金の弁済に充当したものであるのに、原判決が全額を現金で交付したと認定したのは、事実を誤認したものだ、というのである。
しかしながら、原判決の認定したように松下作平および原茂雄が被告人に対し全額を現金で交付したのならば刑法第二四六条第一項の騙取罪が成立するのに対し、もし所論のように現金を授受せず従前の被告人の債務に充当した部分があるとすればその部分については同条第二項の不法利得罪の成立があるわけであつて、いずれにしても原判示の金額について同条の詐欺罪の成立することに変りはなく、欺罔による不法利得と認定すべきものを欺罔による騙取と誤認したからといつてその誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかだとはいえないから(明治四四年五月二三日大審院第一、第二刑事連合部判決・刑録一七輯七四七頁参照)、論旨は採用することができない。
同第一の三について。
論旨は、原判決はその判示一二および一四において被告人が偽造手形を債務の弁済に充当させて財産上不法の利益を得たと認定しているが、手形の授受があつただけでは既存の債務は消滅しないから、被告人がそれによつて財産上不法の利益を得たと認定したのは事実を誤認している、というのである。
しかし、<証拠>を総合すれば、これらの事実においては被告人が原判示各手形を大井実および武田敏之に交付してそれぞれ借用金債務および買掛金債務の弁済に充当し、これによつてそれに相当する債務が消滅したことを認めることができ、一件記録を検討してみてもこの点に事実の誤認があるとは考えられないから、論旨は理由がない。
同第一の四について。
論旨は、原判決はその判示一九の(三)において、被告人が浜松市高台農業協同組合葵町支所に偽造小切手を交付し被告人の当座預金口座に振替入金させて財産上不法の利益を得たと認定しているが、金融機関は小切手による入金についてはその小切手が手形交換によつて決済されるまでは預金が成立したものとしての取扱をしないものであるから、振替入金の事実をもつて財産上不法の利益を得たと原判決が認定したのは事実を誤認したものだ、というのである。
そこで検討してみると、原裁判所が証拠として取り調べた司法警察員の捜査関係事項照会書に添付されている高台農業協同組合葵町支所の被告人関係の元帳写によると、昭和三九年一一月四日に「他手一枚」として二七万円受入れの記載があり、同月九日に「四日他手不渡」として二七万円が払戻し欄に記載され、貸越残高が同額だけ増額されているのであつて、これによると、金額二七万円の小切手が一一月四日に被告人の当座預金口座に振り込まれたが、同月九日に結局不渡りになつたことが明らかである。ところで、このように他店払の小切手を預金口座に振り込んだ場合には、預金債権はそれによつてはまだ発生せず、小切手の取立てが終つた時にはじめて発生するとされるのが通例であつて、本件の場合これと異なる特約および取扱いがなされたことは証拠上認められないから、本件小切手が結局不渡りとなつた以上、これに相当する預金債権はついに発生しなかつたとみるべきで、そうであるとすれば、被告人がこれによつて財産上不法の利益を得たと認定した原判決は事実を誤認したものといわなければならない。しかしながら、この事実は、かりに有罪と認定されるにしても原判決がその判示一九において有罪と認定した有価証券偽造・同行使と順次牽連犯の関係に立ち一罪として最も重いと認められる偽造有価証券行使罪の刑で処断さるべき関係にあるもので、しかもこの科刑上の一罪は原判決認定の他の多数の罪とともに、併合罪を構成し、前記不法利得の点はその金額においても全体のごく一部にすぎないから、右の事実誤認が判決に影響することが明らかであるとは到底いうことができない。それゆえ、この点の論旨も結局採用することができない。
同第二について。≪省略≫(新関勝芳 中野次雄 伊東正七郎